脳発振回路説

以下は、脳の仕組みについて、きっとこんなんなんじゃないかなと、考えてみたことです。
科学的根拠とか証拠とかは一切ありませんので、前もって断っておきます。


脳をミクロな始点でみてみると意外に単純で驚かされる。
一つの脳細胞には他のいくつもの脳細胞からのインプット信号をうけとる「シナプス」がついていて、インプット信号の総和がある閾値を超えると、「爆発」する。脳細胞が「爆発」すると、アウトプット信号が「樹上突起」を介して他のいくつもの脳細胞へインプットとして伝わっていく。「爆発」がおこらなければ、アウトプットはゼロだ。脳細胞には学習効果があって、よく使われる、樹上突起、シナプスのルートは強化されて、より強くシグナルをつたえるようになる。


たったそれだけのことしかできない脳細胞がたくさん集まると、どうしてこれほど賢い人間の脳が できあがるんだろう?


電子回路で、発振回路というものがある。電気の波を作り出すもので、電子音を作り出したり、電波の発信に使われたりする。
どうやって発信するかという原理のキーは、「閉ループ」と「正帰還」だ。
発信回路はインプットとアウトプットを持つユニットが閉じたループ状に繋がった形をしている。ちょっとした揺らぎとして発生した小さなシグナルがループ中の各ユニットを一巡して、元の場所まで戻ってくる。そして戻ってきたときには前より少し大きなシグナルに成長させられている。(これを正帰還という。)
これが繰り返されるとシグナルは何かの制約でそれ以上成長できなくなるまで成長し続け、周期的に閉ループを駆け巡り続けるようになる。これが発振である。


脳の中では、いろいろな概念が取り扱われる。リンゴとか電車とか全て脳内で扱われる概念だ。
それぞれの概念と、脳細胞の閉ループが対応すると考えてみよう。
脳細胞の閉ループは、ちょっとした刺激が入ったり、あるいは自然に正帰還を得て発振し始める。
閉ループが発振している間、脳はその概念について「考えている」ことになる。
ただし、ある概念について「考えている」というときには普通は意識下でのことを指すが、概念ループの発振は、意識されている場合もあれば、無意識の場合もあるだろう。そう考えると、「考えている」という言葉は適切でないかもしれない。ある概念について、脳が「オン状態にある」とでも表現しようか。


当然ながら、同時並行的にいくつもの閉ループが発振することができる。
恐らく、人間の脳の中では、常に無数のループが発振し続けていることだろう。
概念閉ループの間を橋渡しする脳細胞のルートを連想ルートと呼ぼう。
連想ルートの強さというか太さは、概念間の関連の強さに学習によって自然と対応してくる。例えば、電車と線路はセットで考えられることが多いから、電車概念ループと線路概念ループの間にはそれなりの太さの連想ルートが築きあげられる。
一つの概念ループが発振しだすと、連想ルートをたどって、関連のある概念ループに刺激が伝わり、そのループも発振しだす。そのループがさらにそこから始まる連想ルートを介して他のループの発振を引き起こしたりする。


連想ルートは双方向にある場合がほとんどだろう。だから連想先の発振が連想元に戻って、共振のような状態になったりするだろう。
だから、よく一緒に発振する関連性の強い概念ループ同士では、発振周波数の整合がとれていて整然と発振することだろう。
しかし、普段使われたことがないような組み合わせの概念ループ同士が、新たにつながった連想ルートを介して共振するときには、不協和音が響く。
これが「笑い」というものの本質なんじゃないか。「ひらめき」も似たようなものだろう。


概念ループの、連想ルートを介した共振が、「意識下に入る」と、まさにそれは「考えている」ということになる。「意識下に入る」ということがどのように行われるのかはなかなか難しそうだ。ただ、意識というものは共振中の概念ループを順にたどれるものらしい。


短期記憶とは、概念ループの共振の一時的な持続のことだろう。
3、2、1といった数字の並びをちょっとの間記憶するときには、「3」の概念ループ、「2」の概念ループ、「1」の概念ループが共振し続ける。
単なる連想ルートではなくて、「順序」を司る何かの仕組みを介して共振が持続するのかもしれない。いずれにしろ、短期記憶から数字の列を取り出すときは、意識は、この持続中の共振に目を向けて3、2、1、という順に概念ループをたどって数字の並びを取り出すのだろう。


気持ちを切り替えてなにか新しいことを始めるときには、それまでオン状態にあった概念ループたちをいったんオフにしてやる必要がある。
そんなときには、脳細胞の爆発の閾値を全体的にあげるような脳内物質が分泌され、その影響で発振が抑制されるのかもしれない。


他にもいろいろな脳の活動が、脳内の発振回路という観点で説明できそうじゃないだろうか。