裸の王様は誰?

このところほとんどテレビはみてないけれど、実家に帰ると基本はテレビつけっぱなしなので、見てしまう。そんなときに、いつも持つ感想は、「何この茶番?」だ。特にニュース。
なにかやらかしてしまったえらい人が頭を深々と下げるところにフラッシュがパシャパシャ、とか。なにしろ情報の密度がめちゃくちゃ低い。意外性とか驚きがある情報は、情報量が大きいということになるわけだけど、「今日も水戸黄門が印籠だして悪者がハハー、となりました」くらいに予定調和で情報量がない。情報よりも「偉い人が頭を下げていい気味ですねー、悪い人だから自業自得ですねー」とか「今年も桜が満開ですねー」とかそんな紋切り型の季語とか枕詞の類のもので時間が埋め尽くされる。どれだけ視聴者をバカにしているのかってことだ。
でもですよ。なんでこんなことになっているのかよく考えてみよう。テレビ局の人たちってのはそんなバカじゃない、と思う。JK。テレビ番組ってのは視聴率を稼ぐために極限まで最適化されてるはずで、彼らはその道のプロなはず。ということは、こういう番組が現に作られて放送されているということ自体が、「ニュース番組は情報少なく情緒を重んじておバカな感じに仕上げるのが一番視聴率が取れる!」という法則の存在の証拠なのです。
ということは、つまりバカなのはテレビ局の人じゃなくて視聴者。テレビ局の人はバカなんじゃなくって言うならば、「責任感がない」ということ。言われた仕事をちゃんとやる責任感はあるんだけど、それが世の中にどう影響するのかという大局的な責任感がない。
でもそれをサラリーマンである普通のテレビ局の人に求めるのは酷ってもんだろう。みんなそんなこと偉そうに言えるほど自分の仕事で上司の言うこと無視してでも常に社会正義を貫いてるって言えるんだろうか?
ポチによるとマスコミはこれをハッキリ言えないらしいから、オレが代わりに、この誰も読んでないブログでしかも日本の外からという腰の引けようではあるのだが、言ってやろうか。本当の責任は、バカな番組をつけっぱなしで見てしまう一般視聴者、つまりこれを書いてる僕や読んでるあなた(もしいたらね)にあるのだ。
つまり、もっとハッキリ言っちゃえばこういうこと。
これを読んでるオマエ、オマエが悪い!政治家や官僚やマスコミのせいにするんじゃねえ!

この民主主義の世の中、大衆は王様だ。王様におもねる宦官たちによって、王様は耳に心地よい情報ばかりを聞いて、真実から乖離した世界に生きるようになり、やがては反乱が起きて王様は殺される。殺される前に王様は言う。「ええー?そんなん聞いてないって!俺のせいじゃねー!殺さないで、お願い!」と。
でも、誰がいけなかったかと言えば、自分の聞きたいことばかり聞いていた王様がいけなかったのだ。そんなことは歴史の中で何度も繰り返されてきた。

民主主義にだって裸の王様はいるのだ。ヒットラーはとんでもないやつ悪いやつ、彼さえ生まれてこなければよかったのに生まれてきたのが間違いだった、で思考停止してしまうのは簡単でいい気分だが、彼は民衆に選挙で選ばれた存在だということを忘れてはならない。王様たる民衆が貧困で苦しいときに、「王様、こんなことになっていますがあなたは悪くないですよ。あなたたちドイツ人は他の民族より優れているんですよ。」などと言って擦り寄った宦官が、ヒットラーだったということ。で、王様はその誘惑に負けてしまったということ。ヒットラーさえいなかったらよかったというのも怪しいもんだ。どこの国だろうが、国民全体に不満がたまっているときには過激な意見を言う政治家ほど人気を集めるというのも歴史の証明するところ。彼がやらなくても誰かが同じことをやっただろうというのが妥当なところだろう。そんなことはあのころのドイツじゃなくても、条件さえ整えば、これからだってどこの国でも起こりうる。もちろんこれから先の日本でだって。

悲しいことに民主主義の王様はその程度の王様なのだ。でもチャーチルが言ったように「民主主義は最低だが、他の政治形態はもっとひどい。」人類はそれに勝る政治システムを未だ生み出せていない。

マスゴミとか言ってメディアをたたくのは簡単だし自分のプライドも傷付かない。でも敢えて、そんな宦官を侍らせている裸の王様は僕やあなたなんだということを自覚し、センスを磨いて疑う気持ちを持ち、まずはくだらん番組をだらだら見るのはやめようじゃありませんか。