歴史に学ぼう

前に日本文化の風通しをよくしようという切り口で、外国に行って異文化を体験しよう、というようなエントリを書いたが、同じような効果が期待できそうな、もっと身近な方法があることに気がついた。それは歴史に学ぶ、ということです。空間を隔てた異文化を学ぶ代わりに、時間を隔てた異文化を学ぶのです。

なんでこんなことを突然言い出したのかというと、高校の世界史の授業をまとめた、こんなすばらしいサイトをみつけたから。僕は年号を憶えさせられるのが嫌で高校では歴史を取らなかったんだけど、歴史というのは暗記しなくちゃならないというプレッシャーなしで、ストーリーとして読むと実に引き込まれる。人間ってこんな酷いことを平気でやるものなんだ、とか、人間の集団というのはこういうときにはまとまってエネルギーを発揮するものだけど、こういうときには何も進まないものなんだ、とか人間に関する法則のようなものがあるのが見えてくるのです。

僕が特に面白いと思った時代をいくつかあげてみる。歴史に詳しい人にとっては常識なんだろうけれど、僕にとって新鮮だったエピソードも。

大航海時代

この時代のヨーロッパでは、陸路インドから多くの商人を仲介して入ってくる胡椒が金銀のような高値で取引されていた。だから、もしインドから船に胡椒を満載して帰ってくることが出来れば、今のベンチャー企業のように、一気に貴族や大金持ちになれるというインセンティブがあった。大航海時代は単に冒険心だけで達成されたことではなかったのだ。
でも長期の船旅ではビタミンC 不足による壊血病で人がバタバタ死んでいく。ビタミンCなんてまだ知らないから何の対策も打てない。実際、マゼランの西回り世界一周なんて、200人以上で出かけていって、生きてかえって来れたのは十数人。
しかも地球が丸いとは一般的にはまだ信じられていなくて、大西洋の縁まで行けば滝があって落ちて死ぬ、とかアフリカ西岸を南に行き続けると熱くなりすぎて焼け死ぬとかいうのが当時の常識。だからまともなヤツは大航海になんか参加しない。もともと失うものなどない命知らずとか、囚人が無事帰ってきたときの釈放を条件にとか、そんなやつばっかり。
だから行く先々で本当にひどいことをやっているんだけれど、そんなやつらが結果として人類の世界観を変えたわけです。
こういうことを知ると、酔っぱらってハメを外してしまった草薙くんを「最低の人間」と罵倒した鳩山大臣に対して「人間に対する認識が浅い」という村西帝王はさすがに分かっていらっしゃる、と納得です。
大航海時代は、超ハイリスク超ハイリターンのゲームに数知れない命知らずたちが挑戦し、殆どが死に、ほんの一握りが歴史に名を刻んだ時代だったのです。

ルネッサンス

ルネッサンスというのは一言で言うと、「ものごとをありのままに見て、迷信や先入観を取り去って自分の頭で考えよう。」という動きだったのですね。キリスト教原理主義の呪縛から解き放たれた自由な精神を獲得した人たちが現れたのです。
ルネッサンスの成立した背景として、異文化の流入(十字軍によるイスラムビザンツ文化との接触など)、活版印刷技術の発明(これ自体がルネッサンスの産物なんだろうけれど)がある。これを飛行機とインターネットに置き換えると、今こそはルネッサンスの再来的な時代だと言えるのではないでしょうか。
ものごとをありのままに見る、ということは簡単なようで意外に難しい。そういうことが許されない国が世界にはまだ数多く存在するし、もし許されてはいても、自分の生まれ育った文化しか知らないと天動説的な考えになってしまいがち。今回こそはルネッサンス的な考え方が真に世界のすみずみまで行き渡って、多くの人が様々な原理主義の呪縛から自由な精神を手にすることができればいいなと思うのです。

中国の歴史

宋は科挙を導入し、国中の野望を持った若者が武力を身につける代わりにガリ勉した。それで内政は安定した時期もあったが、とにかく軍事的に弱くなり、結局は周辺国に攻め滅ぼされた。
うすうす思っていたけど、あまり勉強しすぎるとケンカには弱くなるものなんですね。まあこれは今ほど科学技術が発達すると成り立たない話だとは思うけれど。

人間の生物としての進化(数百万年)は歴史(数千年)に比べてずっとゆっくりだ。つまり、歴史の範囲で登場する人物たちは僕たち現代人と生物として同じものだ。そして、歴史上起こったことは、起こるべくして起こっている。奇跡、偉業、惨劇と言われることも、それが起きたときの状況さえ整えば、そこにいた人々を現代人に置き換えても多分同じようなことが起きる。そういう視点でもって歴史を見ると、現代の異文化を見て受けるのと同じような衝撃を歴史から受けることができて、同じような視野の広がりがあると思うのです。