DictionaryFox 0.7をリリース

Macの辞書をFireFoxから直接引けるようにするAdd Onです。
https://addons.mozilla.org/en-US/firefox/addon/12017

オプションで、辞書で引いた言葉をtwitterに記録します。

記録した単語は後からtwitter検索で復習することが出来ます。


みんなが引いた単語がここに蓄積されていったら面白いんじゃないかなと思っています。

MacTwitterが好きな人、試してみてください。一緒に勉強しましょう!

越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文

これはけっこういいかも。

僕も誤訳した問題がいくつもあった。
正解できたものの中にも、これは英語圏で暮らしてなかったら間違えてただろうなと思えるものが多い。
そういえば、昔中国人の上司と話しているときに、quite a fewと言われて、多いんだっけ少ないんだっけと迷っていたら、manyね、と言い直してくれたこととか思い出す。
別に英語としては難しい文は出てこない。逆に英語ネイティブが見たら、こんなのを間違えようがあるのかと逆に驚きそうだ。つまり英語ネイティブと日本語ネイティブの発想の違いから来るような盲点を鋭く突いている。
解説もすばらしい。これを読まなかったら誤解したまま生き続けていたんだろうなというようなポイントがいっぱい。
特に省略形の説明なんかは目からウロコだった。
英語にある程度自信のある人には、非常におすすめ。

徹底抗戦 - ホリエモンガンバレ!

今更だけど今日家に帰ったら届いてた。

堀江さん自身が書いた本だから、その辺差し引いて読むべきなんだろうが、それにしても今の日本の司法システムはマズいんじゃないの、と思わされる。

「社長なんだから潔く責任を取れといわれるが、経営責任と刑事責任は別。経営責任は認めて社長を辞任したが、刑事責任までとる気はない。経営責任があるから刑事責任もとれなんて論理がまかりとおったら誰も起業家にならなくなってしまう。」(要約)とのこと、これは全くそのとおり。
「部下の不届きは上司の責任。男らしく責任を取れ!」ってな話はよく聞くけれど(これだけでも乱暴な話だとはおもうけど、そこはとりあえず置いておくとして)それは降格だとかクビだとか社内政治の範囲までの話であって、刑事責任まで取れというのは本当におかしな話だと思う。そりゃあ、これじゃあだれも日本で起業しようと思わなくなるだろう。「なぜグーグルのような会社が日本から出ないのか」とかよく聞くけど本当に出そうになったら妬んで潰しちゃうんじゃ、出るわけないじゃん。

僕はハッキリ言えばライブドア事件ってのは大人の世界のイジメみたいなもんだと思っている。(本書の冒頭にもそれらしい例えがある。)ホリエモンはキレーなネーチャンと付き合ったりして、世間一般の反感を買ってるような空気があった。マスコミはその空気を読んで、「コイツならイジメてもオレが逆にイジメられることはないな!フジテレビの件でもナメられてムカツイたし!」とばかりにイジメ始める。すると世間一般もそれにのっかってイジメがエスカレートする。これが学校だったら先生が大人として介入するもんだけど、現実には先生のはずの司法まで一緒になってイジメちゃってるという状態。

さて、こんなこといっておいてからなんだけど、 僕はライブドア事件で何が罪として問題になっているのかずっといままでよく分からないでいたが、この本を読んでもやっぱりよくわかりませんでした。わからんくせにこんなこと書くなとか言われそうですが、誰でも分かる悪いことならともかく、こんなわからんような罪で実刑判決ってのもどうなんだという気もします。
なんとなくの理解だと、株の取引で儲けたお金を、本業で儲けたように装って、本業が実態よりうまくいっているように見せようとした。ってことか?
金融日記の人とかちゃんと解説してくれないかなあ。

ホリエモンとにかくガンバレ!

歴史に学ぼう

前に日本文化の風通しをよくしようという切り口で、外国に行って異文化を体験しよう、というようなエントリを書いたが、同じような効果が期待できそうな、もっと身近な方法があることに気がついた。それは歴史に学ぶ、ということです。空間を隔てた異文化を学ぶ代わりに、時間を隔てた異文化を学ぶのです。

なんでこんなことを突然言い出したのかというと、高校の世界史の授業をまとめた、こんなすばらしいサイトをみつけたから。僕は年号を憶えさせられるのが嫌で高校では歴史を取らなかったんだけど、歴史というのは暗記しなくちゃならないというプレッシャーなしで、ストーリーとして読むと実に引き込まれる。人間ってこんな酷いことを平気でやるものなんだ、とか、人間の集団というのはこういうときにはまとまってエネルギーを発揮するものだけど、こういうときには何も進まないものなんだ、とか人間に関する法則のようなものがあるのが見えてくるのです。

僕が特に面白いと思った時代をいくつかあげてみる。歴史に詳しい人にとっては常識なんだろうけれど、僕にとって新鮮だったエピソードも。

大航海時代

この時代のヨーロッパでは、陸路インドから多くの商人を仲介して入ってくる胡椒が金銀のような高値で取引されていた。だから、もしインドから船に胡椒を満載して帰ってくることが出来れば、今のベンチャー企業のように、一気に貴族や大金持ちになれるというインセンティブがあった。大航海時代は単に冒険心だけで達成されたことではなかったのだ。
でも長期の船旅ではビタミンC 不足による壊血病で人がバタバタ死んでいく。ビタミンCなんてまだ知らないから何の対策も打てない。実際、マゼランの西回り世界一周なんて、200人以上で出かけていって、生きてかえって来れたのは十数人。
しかも地球が丸いとは一般的にはまだ信じられていなくて、大西洋の縁まで行けば滝があって落ちて死ぬ、とかアフリカ西岸を南に行き続けると熱くなりすぎて焼け死ぬとかいうのが当時の常識。だからまともなヤツは大航海になんか参加しない。もともと失うものなどない命知らずとか、囚人が無事帰ってきたときの釈放を条件にとか、そんなやつばっかり。
だから行く先々で本当にひどいことをやっているんだけれど、そんなやつらが結果として人類の世界観を変えたわけです。
こういうことを知ると、酔っぱらってハメを外してしまった草薙くんを「最低の人間」と罵倒した鳩山大臣に対して「人間に対する認識が浅い」という村西帝王はさすがに分かっていらっしゃる、と納得です。
大航海時代は、超ハイリスク超ハイリターンのゲームに数知れない命知らずたちが挑戦し、殆どが死に、ほんの一握りが歴史に名を刻んだ時代だったのです。

ルネッサンス

ルネッサンスというのは一言で言うと、「ものごとをありのままに見て、迷信や先入観を取り去って自分の頭で考えよう。」という動きだったのですね。キリスト教原理主義の呪縛から解き放たれた自由な精神を獲得した人たちが現れたのです。
ルネッサンスの成立した背景として、異文化の流入(十字軍によるイスラムビザンツ文化との接触など)、活版印刷技術の発明(これ自体がルネッサンスの産物なんだろうけれど)がある。これを飛行機とインターネットに置き換えると、今こそはルネッサンスの再来的な時代だと言えるのではないでしょうか。
ものごとをありのままに見る、ということは簡単なようで意外に難しい。そういうことが許されない国が世界にはまだ数多く存在するし、もし許されてはいても、自分の生まれ育った文化しか知らないと天動説的な考えになってしまいがち。今回こそはルネッサンス的な考え方が真に世界のすみずみまで行き渡って、多くの人が様々な原理主義の呪縛から自由な精神を手にすることができればいいなと思うのです。

中国の歴史

宋は科挙を導入し、国中の野望を持った若者が武力を身につける代わりにガリ勉した。それで内政は安定した時期もあったが、とにかく軍事的に弱くなり、結局は周辺国に攻め滅ぼされた。
うすうす思っていたけど、あまり勉強しすぎるとケンカには弱くなるものなんですね。まあこれは今ほど科学技術が発達すると成り立たない話だとは思うけれど。

人間の生物としての進化(数百万年)は歴史(数千年)に比べてずっとゆっくりだ。つまり、歴史の範囲で登場する人物たちは僕たち現代人と生物として同じものだ。そして、歴史上起こったことは、起こるべくして起こっている。奇跡、偉業、惨劇と言われることも、それが起きたときの状況さえ整えば、そこにいた人々を現代人に置き換えても多分同じようなことが起きる。そういう視点でもって歴史を見ると、現代の異文化を見て受けるのと同じような衝撃を歴史から受けることができて、同じような視野の広がりがあると思うのです。

裸の王様は誰?

このところほとんどテレビはみてないけれど、実家に帰ると基本はテレビつけっぱなしなので、見てしまう。そんなときに、いつも持つ感想は、「何この茶番?」だ。特にニュース。
なにかやらかしてしまったえらい人が頭を深々と下げるところにフラッシュがパシャパシャ、とか。なにしろ情報の密度がめちゃくちゃ低い。意外性とか驚きがある情報は、情報量が大きいということになるわけだけど、「今日も水戸黄門が印籠だして悪者がハハー、となりました」くらいに予定調和で情報量がない。情報よりも「偉い人が頭を下げていい気味ですねー、悪い人だから自業自得ですねー」とか「今年も桜が満開ですねー」とかそんな紋切り型の季語とか枕詞の類のもので時間が埋め尽くされる。どれだけ視聴者をバカにしているのかってことだ。
でもですよ。なんでこんなことになっているのかよく考えてみよう。テレビ局の人たちってのはそんなバカじゃない、と思う。JK。テレビ番組ってのは視聴率を稼ぐために極限まで最適化されてるはずで、彼らはその道のプロなはず。ということは、こういう番組が現に作られて放送されているということ自体が、「ニュース番組は情報少なく情緒を重んじておバカな感じに仕上げるのが一番視聴率が取れる!」という法則の存在の証拠なのです。
ということは、つまりバカなのはテレビ局の人じゃなくて視聴者。テレビ局の人はバカなんじゃなくって言うならば、「責任感がない」ということ。言われた仕事をちゃんとやる責任感はあるんだけど、それが世の中にどう影響するのかという大局的な責任感がない。
でもそれをサラリーマンである普通のテレビ局の人に求めるのは酷ってもんだろう。みんなそんなこと偉そうに言えるほど自分の仕事で上司の言うこと無視してでも常に社会正義を貫いてるって言えるんだろうか?
ポチによるとマスコミはこれをハッキリ言えないらしいから、オレが代わりに、この誰も読んでないブログでしかも日本の外からという腰の引けようではあるのだが、言ってやろうか。本当の責任は、バカな番組をつけっぱなしで見てしまう一般視聴者、つまりこれを書いてる僕や読んでるあなた(もしいたらね)にあるのだ。
つまり、もっとハッキリ言っちゃえばこういうこと。
これを読んでるオマエ、オマエが悪い!政治家や官僚やマスコミのせいにするんじゃねえ!

この民主主義の世の中、大衆は王様だ。王様におもねる宦官たちによって、王様は耳に心地よい情報ばかりを聞いて、真実から乖離した世界に生きるようになり、やがては反乱が起きて王様は殺される。殺される前に王様は言う。「ええー?そんなん聞いてないって!俺のせいじゃねー!殺さないで、お願い!」と。
でも、誰がいけなかったかと言えば、自分の聞きたいことばかり聞いていた王様がいけなかったのだ。そんなことは歴史の中で何度も繰り返されてきた。

民主主義にだって裸の王様はいるのだ。ヒットラーはとんでもないやつ悪いやつ、彼さえ生まれてこなければよかったのに生まれてきたのが間違いだった、で思考停止してしまうのは簡単でいい気分だが、彼は民衆に選挙で選ばれた存在だということを忘れてはならない。王様たる民衆が貧困で苦しいときに、「王様、こんなことになっていますがあなたは悪くないですよ。あなたたちドイツ人は他の民族より優れているんですよ。」などと言って擦り寄った宦官が、ヒットラーだったということ。で、王様はその誘惑に負けてしまったということ。ヒットラーさえいなかったらよかったというのも怪しいもんだ。どこの国だろうが、国民全体に不満がたまっているときには過激な意見を言う政治家ほど人気を集めるというのも歴史の証明するところ。彼がやらなくても誰かが同じことをやっただろうというのが妥当なところだろう。そんなことはあのころのドイツじゃなくても、条件さえ整えば、これからだってどこの国でも起こりうる。もちろんこれから先の日本でだって。

悲しいことに民主主義の王様はその程度の王様なのだ。でもチャーチルが言ったように「民主主義は最低だが、他の政治形態はもっとひどい。」人類はそれに勝る政治システムを未だ生み出せていない。

マスゴミとか言ってメディアをたたくのは簡単だし自分のプライドも傷付かない。でも敢えて、そんな宦官を侍らせている裸の王様は僕やあなたなんだということを自覚し、センスを磨いて疑う気持ちを持ち、まずはくだらん番組をだらだら見るのはやめようじゃありませんか。

渡辺千賀さんの「海外で勉強して働こう」のエントリを読んで

海外で勉強して働こう - On/Off and Beyond

これまでずっとなるべく言わないようにしていたのだが、もう平たく/明快に言うことにしました。
1)日本はもう立ち直れないと思う。
だから、
2)海外で勉強してそのまま海外で働く道を真剣に考えてみて欲しい。

思考を重ねたあげくにこういう結論になってしまったからには、それをはっきり言い切った勇気はすばらしいと思います。日本にはもっとこういう「敢えて空気を読まない人」が必要でしょう。

で、日本は本当に立ち直れないんでしょうか?
個人を見ると、こんなにたくさんすごい人たちのそろってる国がそう簡単に立ち直れなくなるんだろうか、と思うし、集団として見ると、なんだかずっと壮大に空回りしててこのままじゃまずいんじゃないか、という感じがする。総合すると結局どうなるのかよくわからない、というのが正直なところ。

海外に出よう、ということについては思うところがある。僕は日本を出て、こちらでの働き方や文化が分かってくるにつれて、初めて日本というものを外から客観的に、いいところも悪いところも冷めた目で見ることができるようになったという感覚がある。そのころはなんだか赤い錠剤を飲んで、マトリックスの外に流されて出てきたような気分がしていた。文化というものは空気のようにあまりにも自然にそこにあるので、生まれ育った文化圏から出ることがなかったら、その存在にすら気づかない。異文化を知って、比較対象を持って初めて、日本文化について考えるベースができる。だから留学や、海外で仕事をする、という選択肢のある人は是非やってみてほしいと思う。その中の何割かの人はまた日本に帰っていくだろうから、そうやって異文化経験を持つ人が日本の中に増えれば、日本もだいぶ風通しがよくなるに違いないと思う。

で、海外で仕事をする、という経験を持ってみて、僕が今の日本の文化について感じることの一つが、「マジョリティー、既得権層に異常に有利なルールになっている」ということ。
例えば、敬語の有無とか結構影響力がある。敬語を使う関係だと言いいにくかったけど、そうじゃなければ言えるようなことがあったりする。使う言葉は人間の心理に想像以上に影響しているというのを実感している。だから、一年入社が早いとかで言葉が敬語になっちゃったりしてると、 ボトムアップな変革は難しくなるよな、と思う。きっとジャニーズみたいに先輩でも○○君、とかのほうがお互い言いたいこと言える雰囲気にはなるんだろう。まあ普通の会社じゃ、いきなりそんなのできないと思うけど。
あとは職場の人間関係の間合いの近さ。しょっちゅう飲み会があって、仲がいいのはいいけれど、代わりに自分の時間を取って何かしようとしたり、マジョリティーから外れたことをしようとすると、味わうことになる疎外感も大きい。
文化の特性として、トップダウンで何かするには強いけれど、個の力を活かすには弱い、そんな感じ。今の状況では、特に僕の知ってるIT関連の仕事では、これは有利よりも不利に働くと思う。
日本の文化のそのへんが、唯一正しいやり方じゃなくって、ただのローカルルールだってことを体で知ってればそれだけでだいぶ違うんじゃないだろうか。

こういう話をすると、「なんだ、このアメリカかぶれが!」とか思われるのかもしれない。僕も海外留学から帰ってきた人とかに「アメリカではさあ」とかいって日本を否定されると、そういう反感を感じることもあったし。でも、そのへんちょっと予防線を張っておくと、僕は「アメリカ流の考え方が正しい。日本の考え方が間違ってる。」なんてことは全然思ってない。むしろ文化なんてものにどっちが正しいとか間違ってるなんて、ない、と思っている。単に違う、というだけ。例えば、「日本はレディーファーストが浸透してないからアメリカより遅れてる。」なんて議論を聞くと、それは日本文化を唯一と信じていたのが、アメリカ文化に入れ替わっただけの考え方で、せっかく二つの文化を知ってるのに善悪中毒から抜け出せてないな、と思う。
ただ、国際的に仕事で競争するにあたって、今のルールでどっちが有利かという話はそれとは別。

風通しの良い文化作りということでは、海外に出てみる、というのもそうだけど、ブログを書くというのも重要かもしれない。こんな誰も読まないようなブログしか書けない僕が言うのもなんだけど、強力なブログを築き上げれば一個人が既得権層の頭越しにシャウトできるんだから、権力構造変わりますよね。僕もまあ細々やっていこうかな。

その数学が戦略を決める

大量のデータの統計分析が、人間の職人的カンを打ち負かしつつあり、産業革命時の馬と蒸気機関者が競争していた状況が再来している、という趣旨の啓蒙書。

グーグルも、チェスでカスパロフを負かしたディープブルーも、そんな大きな潮流の氷山の一角、ということ。で、人間はどうすればいいのかというと、そんなコンピューターを道具として使い、コンピューターが出してきた答えをもとに、仮説を導き、コンピューターへの次なる問いを考える、というように、コンピューターと人間の頭脳の間を行ったり来たりして問題解決ができるようになるべし、とのこと。(グーグルで言えば、一発目の検索結果をふまえて、二発、三発目の検索のうまいキーワードを考える力、といったところだろうか。)
興味深い話のつまったいい本なのだが、一つ残念な点が。この本の主題、Super crunchingが「絶対計算」と訳されているのだが、これはちょっと変な訳だと思う。おかげで、何か特別なアルゴリズムでもあるのかとしばらく誤解しながら読んでいた。題名も同様の誤解を招きそう。というか僕は誤解していた。実際は絶対計算と呼んでいるのは、特定のアルゴリズムのことではなくて、コンピュータによる大規模な統計解析をそう総称しているということのようだ。(Crunchingは英語で、コンピューターに大量のデータを処理させる、という意味を持つ。それにSuperをつけただけの言葉。「大規模計算」とかでいいのに、と思った。)